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【全作品64点を紹介】 国立西洋美術館 《モネ 睡蓮のとき》 Le dernier Monet Paysage d’eau(最晩年のモネ、水の風景)

東京上野の国立西洋美術館で《モネ 睡蓮のとき》が開催中です。
(2025年2月11日まで、その後京都市京セラ美術館、豊田市美術館へと巡回)

モネの展覧会と言えば昨年から今年にかけて開催された《モネ 連作の情景》が記憶に新しいところですが、
今回のモネ展はモネ最大の連作とも言える《睡蓮》がテーマです。

もっとも、出展作品が全部《睡蓮》というわけではなく、出展60余点の内20点ほどが《睡蓮》を描いた作品という内容です。

光を色に還元して自然を描く印象主義から出発したモネが晩年にたどり着いた抽象絵画のような表現、単に睡
蓮を描いた作品を集めただけではなく、戦後アメリカの抽象表現主義に連なるとも喧伝されるモネ晩年の作品世界を堪能できる充実した内容の展覧会です。

そのエッセンスを展覧会の構成(章立て)に沿ってご紹介します。

※作品のNoは展覧会図録の番号です。

第1章 セーヌ河から睡蓮の池へ
かつてモネはセーヌ河を指して「ここが私のアトリエです」と言いました。
この章ではモネの川面に映る風景(水面)への関心から睡蓮への道をたどります。


No1 舟遊び 1887年(47歳)油彩/キャンバス145.5 × 133.5 cm
国立西洋美術館
※モデルはモネの義理の娘たち。
画面下半分の水面に映った像に注目

No2 《ばら色のボート》(大原美術館)は東京海上不出品


No3  陽を浴びるポプラ並木 1891年(51歳) 油彩/カンヴァス 93 x 73.5 cm
国立西洋美術館
※モネの家の近くを流れるエプト川にアトリエ舟を浮かべて描いた対岸(エプト川左岸)
のポプラ並木。画面下方の川面に映る空と雲の面積はごくわずか。


No4 ポール・ヴィレのセーヌ河、ぱら色の効果 1894年(54歳) 油彩/カンヴァス 52.4 x 92.6 cm
マルモッタン・モネ美術館   


No5 ポール・ヴィレのセーヌ河、夕暮れの効果 1894年(54歳) 油彩/カンヴァス 52.4 x 92.6 cm
マルモッタン・モネ美術館
※実際の空と風景とほぼ同じ大きさの川面に映った
空と風景に注目


No6 セーヌ河の朝   1897年(57歳)   油彩/キャンバス   82 x 93.5 cm
マルモッタン・モネ美術館
※本作は時間的には未明の情景。《セーヌ河の朝》は全部で21点の連作

  
  No7 セーヌ河の朝   1897年(57歳)   油彩/キャンバス   82 x 93.5 cm
  ひろしま美術館
※時間的には日の出以降の情景。画面上半分が実刑、下半分は川面に映った像


No8 セーヌ河の朝   1898年(58歳)   油彩/キャンバス   73 x 91.5 cm
 国立西洋美術館
※《セーヌ河の朝》の連作は好評を博し、モネはコローに続いてフランス風景画の偉大な系譜に連なる画家として評価された。


No9 柳   1897 – 98年(57 – 58歳)   油彩/キャンバス   71 x 89.5 cm
 個人蔵(国立西洋美術館に寄託)


No10 ヴェトゥイユ 1902年(62歳) 油彩/カンヴァス 90 x 93 cm
国立西洋美術館(松方コレクション)
※ヴェトゥイユはモネがが1878年〜1881年にかけて暮らした町。彼の最愛の妻カミーユはここで32歳の若さで亡くなった。


No11 チャーリング・クロス橋 c.1899 -1901年頃(59−61歳) 油彩/カンヴァス 60 x 100 cm
マルモッタン美術館
※モネがロンドンで描いた《チャーリング・クロス橋》は34点。
※チャーリング・クロス橋は鉄道専用用の鉄の橋


No12 チャーリング・クロス橋 1899年(59歳) 油彩/カンヴァス 65 x 81 cm
メナード美術館


No13 チャーリング・クロス橋 1903年(63歳) 油彩/カンヴァス 73 x 100 cm
吉野石膏コレクション(山形美術館に寄託)


No14 チャーリング・クロス橋、ロンドン 1902年頃(62歳) 油彩/カンヴァス 65.3 x 100 cm
国立西洋「美術館(松方コレクション)


No15 ウォータールー橋、ロンドン 1902年(62歳) 油彩/カンヴァス 65.3 x 100 cm
国立西洋「美術館(松方コレクション)
※モネがロンドンで描いた《ウォータールー橋》は41点。
※ウォータールー橋は石造りの橋


No16 睡蓮、夕暮れの効果 1897年(57歳) 油彩/カンヴァス 73 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館
※最初期の睡蓮の特徴:2つか3つの白っぽい睡蓮の花が大きくクローズアップされる
モネの関心は水面に浮かぶ睡蓮の花と葉


No17 睡蓮 1897 – 98年(57 – 58歳) 油彩/カンヴァス 89 x 130 cm
鹿児島市立美術館


No18 睡蓮 1903年(63歳) 油彩/カンヴァス 81.5 x 100.5cm
鹿児島市立美術館

 

No19 《睡蓮》(吉野石膏コレクション、山形美術館に寄託)は不出品


No20 睡蓮 1903年(63歳) 油彩/カンヴァス 73 x 92 cm
マルモッタン・モネ美術館
※モネの関心が睡蓮の花と葉だけでなく水面(水面に映る柳の情景)に拡がっている。


No21 睡蓮 1903年(63歳) 油彩/カンヴァス 89 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館

 


No22 睡蓮(習作)   1907年(67歳)   油彩/キャンバス   105 x 73 cm
マルモッタン・モネ美術館

 
No23 睡蓮    1907年(67歳)   油彩/キャンバス   100 x 73 cm
マルモッタン・モネ美術館
※モネの関心が睡蓮よりも水面に映る空と柳に移行している。

 

第2章 水と花々の装飾
現在パリのオランジュリー美術館の楕円形の2つの部屋で見ることのできる全長80メートル
に及ぶ大壁画に描かれている花は睡蓮だけですが、それに到るまでの過程で、モネは睡蓮の池の
ほとりに咲く水辺の花々(アイリス、アガパンサス、キスゲなど)を描くことを構想していました。


No24 黄色いアイリス 1914 – 17年頃(74−77歳)
油彩/キャンバス 200 x 101 cm
国立西洋美術館


No25 黄色いアイリス 1924 – 25年頃(84 – 85歳) 油彩/キャンバス 130 x 152 cm
マルモッタン・モネ美術館


No26 黄色と紫のアイリス 1924 – 25年頃(84 – 85歳) 油彩/キャンバス 106 x 155 cm
マルモッタン・モネ美術館


No27 アイリス 1924 – 25年頃(84 – 85歳)
油彩/キャンバス 105 x 73 cm
マルモッタン・モネ美術館


No28 キスゲ  1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 150 x 140.5 cm
マルモッタン・モネ美術館


No29 睡蓮  1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 180 x 200 cm
マルモッタン・モネ美術館


No30 藤 1919 – 20年頃(79 – 80歳) 油彩/カンヴァス 100 x 300 cm   マルモッタン・モネ美術館


No31 藤 1919 – 20年頃(79 – 80歳) 油彩/カンヴァス 100 x 300 cm   マルモッタン・モネ美術館

※当初モネが構想していた大装飾画(グランド・デコラシオン)の設置場所は天井の非常に高いところで、これら2点の横長の藤の絵は睡蓮の絵の上を飾るフリーズ(装飾帯)のために描かれました。
フリーズ:神殿などで列柱と天井の間に置かれる帯状の装飾(絵やレリーフ)。

オテル・ビロンの計画 ー 藤棚のフリーズ
1920年9月27日、モネは約2年にわたる交渉の末、12点の睡蓮の装飾パネルをフランス国家に寄贈することに合意する。そして、その作品だけを展示する専用の美術館の場所として、敬愛する彫刻家ロダンの美術館が開館してまもないオテル・ビロン(ビロン邸)の敷地を、さらにその設計者として友人の建築家ルイ・ボニエを指名した。

ピロン邸の計画は「緑の反映」「雲」「三本の柳」そして「アガパンサス」と4つの主題だったが、財政上の理由などからチュイルリー公園の既存の建物(現在のオランジュリー美術館)に変更された。

ホテル・ビロンの計画では、四方の壁を飾る睡蓮の壁の上部に藤の花をモティーフとするフリーズが設置される計画だった。

このフリーズは、あたかも鑑賞者が現実にモネの庭を散策するように、頭上に藤棚が翳る太鼓橋を渡り、池の周囲を巡る感覚をもたらしたはずだが、最終的には、オランジュリーの既存の建物の天井高に収まらないという理由もあって断念された。


ルイ・ボニエによる、ホテル・ビロンの展示館の平面図(左)とファサード(右)

 


No32 睡蓮とアガパンサス 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 140 x 120 cm
マルモッタン・モネ美術館


No33 睡蓮とアガパンサス 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 200 x 150 cm
マルモッタン・モネ美術館


No34 睡蓮 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 180 x 200 cm
アサヒグループ大山崎山荘美術館


No35 睡蓮 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 200 x 200 cm
マルモッタン・モネ美術館

第3章 大装飾画への道
大装飾画(Grande Décoration、グランド・デコラション)」とは、睡蓮の池を描いた巨大なパネルによって楕円形の部屋の壁面を覆うという、モネが長年にわたり追い求めた装飾画の計画です。

最終的にパリのオランジュリー美術館に設置されることになるこの記念碑的な壁画の制作過程において、
70代のモネは驚嘆すべきエネルギーでもって、水面に映し出される木々や雲の反映をモティーフとする
おびただしい数の作品群を生み出しました。


No36 睡蓮 1916 – 19年頃(76 – 79歳) 油彩/カンヴァス 150 x 197 cm
マルモッタン・モネ美術館

 


No37 睡蓮 1914 – 17年頃 油彩/カンヴァス 130 x 150 cm
マルモッタン・モネ美術館
※マルモッタン美術館で77年間上下さかさまに展示されていたというエピソードのある作品。
それに気づいたのが東北大学名誉教授の西澤潤一氏だったといういのにもビックリ!


No38 睡蓮 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 130 x 153 cm
マルモッタン・モネ美術館


No39 睡蓮 1916 – 19年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 200 x 180 cm
マルモッタン・モネ美術館


No40 睡蓮 1916年(76歳) 油彩/キャンバス 200.5 x 201 cm
国立西洋美術館


No41 睡蓮 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 130 x 150 cm
マルモッタン・モネ美術館


No42 睡蓮、柳の反映 1916 – 19年頃(76 – 79歳) 油彩/キャンバス 130 x 157 cm
マルモッタン・モネ美術館


No43 睡蓮、柳の反映 1916 – 19年頃(76 – 79歳) 油彩/キャンバス 200 x 200 cm
マルモッタン・モネ美術館

No44 《睡蓮、柳の反映》(北九州市立美術館)は東京会場には不出品


No45 睡蓮、柳の反映    1916年?(76歳)   油彩/キャンバス  199.3 x 424.4 cm   国立西洋美術館(松方コレクション)

※2016年9月にルーヴル美術館の収蔵庫でロールに巻かれた状態で発見され、。松方コレクションの一部であった事が確認されたため、日本に返還された作品。戦時中の疎開により大きな損傷を受けていたため、国立西洋美術館で1年間をかけて修復ののち、2019年の《松方コレクション展》において初公開された。


破損前の《睡蓮、柳の反映》を写したガラス乾板 (ピエール・シュモフ撮影) フランス文部省・建築文化財メディアテーク

第4章 交響する色彩
晩年のモネは視力の低下に苦しんでいましたが、1912年、72歳の時には白内障と診断されました。
その後白内障の症状が進んだモネは青色を感じることが困難になりました。しかし、失明を恐れたモネは頑なに手術を拒み続けたのです。

この頃のモネの絵は赤と黄が強く、とてもモネの色彩とは思えないほどです。

周囲の説得でモネが手術に踏み切ったのは83歳になってからのことです。その甲斐あってか死の前年には
「私の視力は完全に回復した」と知人への手紙に書いています。


No46 日本の橋 1918 – 19年頃(78 – 79歳) 油彩/カンヴァス 73 x 105 cm
マルモッタン・モネ美術館


No47 日本の橋 1918年(78歳) 油彩/カンヴァス 100 x 200 cm
マルモッタン・モネ美術館


No48 日本の橋 1918年頃(78歳) 油彩/カンヴァス 100 x 200 cm
マルモッタン・モネ美術館


No49 日本の橋 1918 – 19年頃(78 – 79歳) 油彩/カンヴァス 74 x 92 cm
マルモッタン・モネ美術館


No50 日本の橋 1918 – 1924年頃(78 – 84歳) 油彩/カンヴァス 89 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館


No51 日本の橋 1918 – 24年頃(78 – 84歳) 油彩/カンヴァス 89 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館


No52 日本の橋 1918 – 24年頃(78 – 84歳) 油彩/カンヴァス 89 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館


No53 日本の橋 1918 – 24年頃(78 – 84歳) 油彩/カンヴァス 89 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館


No54 日本の橋 1918 – 24年頃(78 – 84歳) 油彩/カンヴァス 89 x 116 cm
マルモッタン・モネ美術館


No55 枝垂れ柳 1918 – 19年頃 油彩/カンヴァス 100 x 120 cm
マルモッタン・モネ美術館


No56 枝垂れ柳 1918 – 19年頃 油彩/カンヴァス 100.5 x 100.5 cm
マルモッタン・モネ美術館


No57 枝垂れ柳 1921 – 22年頃 油彩/カンヴァス 116 x 89 cm
マルモッタン・モネ美術館


No58 ジヴェルニーの庭 1922 – 26年頃 (82 – 86歳) 油彩/キャンバス 93 x 74 cm
マルモッタン・モネ美術館


No59 ばらの小道 ジヴェルニー 1920 – 1922年 (80 – 82歳) 油彩/カンヴァス 89 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館


No60 ばらの小道 1920 – 22年頃(80 – 82歳) 油彩/キャンバス 90 x 92 cm
マルモッタン・モネ美術館


No61 ばらの小道 1920 – 22年頃(80 – 82歳) 油彩/キャンバス 92 x 89 cm
マルモッタン・モネ美術館


No62 ばらの庭から見た画家の家 1920 – 22年頃(80 – 82歳) 油彩/キャンバス 89 x 92 cm
マルモッタン・モネ美術館


No63 ばらの庭から見た家 1922 – 24年頃(82 – 84歳) 油彩/キャンバス 81 x 93 cm
マルモッタン・モネ美術館


No64 ばらの庭から見た家 1922 – 24年頃(82 – 84歳) 油彩/キャンバス 81 x 92 cm
マルモッタン・モネ美術館


No65 ばらの庭から見た家 1922 – 24年頃(82 – 84歳) 油彩/キャンバス 89 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館

エピローグ さかさまの世界
モネを最期まで励まし続け、モネの死後1927年の大装飾画の実現に導いた立役者であるクレマンソーは、木々や雲や花々が一体となってたゆたう睡蓮の池の水面に、森羅万象が凝縮された「さかさまの世界」を見出した。


No66 枝垂れ柳と睡蓮の池 1916 – 19年頃(76 – 79歳)油彩/キャンバス 200 x 180 cm
マルモッタン・モネ美術館


No67 睡蓮 1916 – 19年頃(76 – 79歳) 油彩/キャンバス 200 x 180 cm
マルモッタン・モネ美術館

ー展覧会の終わりー

《展覧会の感想》
国立西洋美術館で開催中の《モネ 睡蓮のとき》展が大盛況!
グッズを買うにはすでに館外にはみ出た列に並ばないといけません。
会期は来年2月11日まで、まだ3ヶ月以上もありますが、都合のつく方は早めに行かれたほうがいいかも知れませんね。

モネの展覧会と言えば昨年から今年にかけて開催された《モネ 連作の情景》が記憶に新しいところですが、今回のモネ展は展覧会タイトルから判断すると、モネ最大の連作とも言える《睡蓮》がテーマのようです。

ところが、出展作品が全部《睡蓮》というわけではなく、出展60余点の内、《睡蓮》を描いた作品は20点ほどです。

フランス語の展覧会タイトルは《Le dernier Monet : Paysage d’eau》(最晩年のモネ、水の風景)なので、必ずしもモネの睡蓮を集めた展覧会という訳ではないようです。

日本語のタイトルからは、なんとなく日本人受けのする《モネ=睡蓮》という割とイージーな動員狙いの展覧会かと思いましたが、《モネ、オランジュリーへの道》という観点から見ると、なかなかに貴重な内容の展覧会でした。

光を色に還元して自然を描く印象主義から出発したモネが晩年にたどり着いた抽象絵画のような表現、戦後アメリカの抽象表現主義とも比較されるモネ晩年の作品世界を堪能できる、充実した内容の展覧会だと思いました。

《コラム:モネ・リヴァイヴァル》
いまではモネの聖地ともなっているオランジュリー美術館のモネの睡蓮の部屋ですが、モネが亡くなった直後に開館した1926年からしばらくは閑古鳥が鳴いている状態だったそうです。端的に言うと印象派の大家モネの有名な作品はすでに時代遅れになっていて、人々の関心を引きことはなかったということのようです。モネ晩年の睡蓮の作品が再評価されだしたのは1950年代以降です。

これをモネ・リヴァイヴァル(モネの再評価)と言います。

口火を切ったのはアメリカでも活躍したフランス人画家のアンドレ・マッソンです。彼はフランスの有名な美術雑誌ヴェルヴに寄稿した文章の中で以下のように主張しました。

「私は喜びをもって、そして真剣に、次のことを伝えたい。テュイルリー公園のオランジュリー美術館は、印象主義のシスティーナ礼拝堂なのだと。パリの中心にあるひとけのない空間に隠されたその作品は、フランスの天才の勝利を示すものであり、神秘の中に聖性を宿している」

一方、1950年代に戦後アメリカ美術を牽引したジャクソン・ポロック、ウィレム・デ・クーニング、マーク・ロスコ、ロバート・マザウェルらの芸術を評価する過程で特にニューヨーク近代美術館を中心にモネの晩年の作品の再評価が始まりました。

彼らがモネの睡蓮から直接影響を受けたという事実関係はないようですが、彼らの次の世代の抽象表現主義の画家、例えばジョアン・ミッチェルなどはデ・クーニングのもとで修業したあと、フランスに渡り、モネの足跡を追うようにヴェトゥイユやジヴェルニーの近くに居住し制作しました。一昨年フランスのフォンダシオン・ルイ・ヴィトンで開催された《モネとミッチェル》展やアメリカのセントルイス美術館で開催されたその縮小版の展覧会など大変興味深い展覧会が続いています。


モネ – ミッチェル展  2022年10月5日 – 2023年2月27日 フォンダシオン・ルイ・ヴィトン

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