東京、西新宿のSOMPO美術館で開催中の《ゴッホと静物画》展が好評のようです。
目玉作品はファン・ゴッホ美術館の《アイリス》ですが、私が今日ご紹介するのは《靴》という作品です。
ゴッホ 《靴》 1886年9月〜11月 ファン・ゴッホ美術館
この絵は対話型鑑賞の解説書やセミナーなどで使用されることが多いので見覚えのある方もいらっしゃると思います。
描かれているのは履き古して泥まみれになった靴が2つです。
1足と書かなかったのは、よく見ると靴底の形状から両方とも左足用の靴ではないかとも思えてくるからです。そこから新たにいろんなことが推察されるかもという不思議な絵です。そんなことから対話型鑑賞の題材にされるのでしょうね。
ところで、私は長年、この作品はゴッホがパリに来る前、ゴッホがオランダ・ベルギー時代に描いた作品だとばかり思っていました。20代半ばでまだ自分探しを続けていたゴッホが、ベルギーの炭坑地帯で伝道師見習いとして、貧しい坑夫といっしょに文字通り泥まみれの生活を送っていた頃に描かれたものだと思い込んでいたのです。
しかし、この作品が描かれたのは1886年、30歳を過ぎたゴッホがテオを頼ってパリに出てきてからのことでした。一説によれば、パリの蚤の市で見つけた古靴をモチーフにしたそうです。
このエピソードを知った時、ちょっと鼻白む思いでしたが、どこでその知識を得たかはすっかり忘れていました。
そしたら、《ゴッホと静物画》展のカタログの作品解説にその答えがありました。
そこに、ゴッホがパリに出てきた当初に学んだフェルナン・コルモンのアトリエ(画塾)仲間フランソワ・ゴージェの次のような言葉が紹介されていたのです。
「彼(ゴッホ)は描き終えたばかりの静物画を見せてくれた。彼は頑丈でがっしりとした古靴を蚤の市で買っていた。それは荷馬車屋が履くような靴だが、清潔で磨かれたばかりの立派な大靴で、余計な装飾はついていない。ある雨の日の午後、ゴッホはそれを履いてパリの城壁跡を歩き回った。泥がこびりついて趣のあるものになった靴を、フィンセントは忠実に写し描いたのだ」
ゴッホには靴だけを描いた作品が7点あります。いわば、靴の連作ですね!そう言えば、花瓶にいけたひまわりも7点でした。
花瓶にいけたひまわりの連作は全て南仏アルルで描かれましたが、靴の方はパリで5点、アルルで1点、耳切事件のあとサン=レミで描いたものが1点です。
ところで、ゴッホの《靴》がなぜ対話型鑑賞で良く使われるかというと、描かれているのは単純に2つの靴だけなのに、観る人によってさまざまな鑑賞が立ち上がってくる絵だからだと思いますが、同展図録の作品解説に興味深い紹介がありました。ドイツの哲学者ハイデッガーのこの作品についての解釈とそれに対するフランスの美術史学者メイヤー・シャピロと同じくフランスの哲学者ジャック・デリダの反論です。
ドイツの哲学者ハイデッガー(1889 – 1976)
「一足の農夫靴、そしてそれ以外には何もない。とはいえ、それにもかかわらず。靴という道具の履き広げられた内側の暗い開口部からは、労働の歩みの辛苦が屹立している。・・・靴という道具のうちにたゆたっているのは、大地の寡黙な呼びかけであり、熟した穀物を大地が静かに贈ることであり、冬の畑地の荒れ果てた休閑地における大地の解き明かされざる自己拒絶である」(「芸術作品の根源」)
美術史家のメイヤー・シャピロ(1904 – 1996)
ハイデッガーは作品の絵画的な局面を見逃しており、そもそもこの靴はゴッホ自身の靴であって農夫のそれではない。
哲学者ジャック・デリダ(1930 – 2004)
描かれた靴には形体から見て「一対の靴」であるとすら言い切る根拠はなく、「靴」それ以上でもなくそれ以下でもない。
ハイデッガーの言葉は妄想気味というか少々感情移入しすぎですが、シャピロとデリダの反論もちょっと即物的すぎる気がしないでもありません。
みなさんのこの絵の鑑賞はいかがですか?観察力と直感力と思考・想像力を働かせてみると楽しいかも知れませんね。
【広告】
ゴッホ研究の第一人者によるゴッホの入門書
アート小説の第一人者とたどるゴッホのあしあと
この記事へのコメントはありません。