今日は、《大人の絵画鑑賞としての対話型鑑賞を考える》の本編(メイン・ストーリー)にはいります。
対話型鑑賞
みなさんは、美術館等で「何月何日の何時から展覧会担当学芸員のギャラリー・トークがあります」という告知をご覧になったことがおありかと思います。最近はほとんどの展覧会でギャラリー・トークが開催されますから、実際に参加された方も多いかも知れませんね。
ギャラリー・トークの一般的なイメージは、進行役の学芸員の方が作品を前にして、作家(画家)について、作品の時代背景について、技法についてなどなど、いろいろ説明してくれて、鑑賞者はそれを参考にしながら作品を見るというものだと思います。
これに対して、対話型鑑賞は学芸員(キュレーターやエデュケーター)が一方的に知識や情報を与えて作品の説明をするのではなく、鑑賞者が見たこと、感じたこと、連想したこと、考えたことなどを自発的に発言するとともに、他の鑑賞者の発言を聞いてさらに刺激を受けたりして、鑑賞者同士の「気づき」の輪を広げていくというものです。「対話型」というよりコミュニケーション型と言った方が分かりやすいかもしれませんね。
対話型鑑賞は従来のギャラリー・トークとはちがって、進行役の重要な役割は、知識や情報の提供ではなくて、鑑賞者の発言を引き出したり、その発言を他の鑑賞者の発言につなげたりして、鑑賞者のコミュニケーションの輪を拡げたり深めたりすることです。したがって、進行役は基本的に知識や情報の提供はしません。(なぜ「基本的に」なのかは後述します)
ですから、「対話型鑑賞」はギャラリー・トークのひとつだとも言えます。
もともと、この「対話型鑑賞」のもとになるメソッドは、1980年代の後半からアメリカのニューヨーク近代美術館(MoMA モマ)で開発されたものです。それが日本に導入されて様々な形に変容しながら「対話型鑑賞」という呼称のもと、各地の美術館、学校教育機関等で実践されつつあるというのが現状です。
日本の対話型鑑賞におけるVTCとVTSの混在
ちょっとややこしいのは、この日本の対話型鑑賞のもとになる、MoMAで開発されたメソッドと言われるものにはVTC(Visual Thinking Curriculum)とVTS(Visual Thinking Strategies)の2つがあるということです。
たとえば、日本のある教育機関で行われている対話型鑑賞はVTSが源流にあり、またある美術館で実践されている対話型鑑賞はVTCをベースにしているといった具合です。また、最近たくさん出版されている「アートxビジネス」関連の本で話題とされているのはたいていVTSです。
さらにややこしいのは、VTSの開発者フィリップ・ヤノウィン氏はもともとはVTCの開発の責任者だったということです。ですから、VTSとVTCは大変似通っています。美術教育の専門家でもない限り、その違いに注目することはほとんどありません。簡単にいうと、VTCをさらに厳格にマニュアル化したものがVTSです。
対話型鑑賞の究極の雛形 VTS
1980年代の後半にニューヨークのMoMAで知識偏重の鑑賞教育に対する反省から、対話によるアートの鑑賞法VTC(Visual Thinking Curriculum: ヴィジュアル・シンキング・カリキュラム)の開発が開始されました。
この開発を主導したMoMAの当時の教育部長フィリップ・ヤノウィン氏は、1993年にMoMAでVTCを完成させた後、1995年にVUE(Visual Understanding in Education)という非営利団体を設立し「幼稚園から小学校6年生までの授業カリキュラム」を開発しました。これがVTSです。VTSは子供を対象とした美術鑑賞法なんですね。これは大事なポイントです。
VTSはより多くの子供向けに美術館ではなく小学校で実施されることを前提としています。ということは、VTSでの進行役は多くの場合美術の専門家ではなく学校の先生ということになります。したがって、VTSでは美術の門外漢であっても進行役になれるように、メソッドを極端にシンプルかつ厳格に規定しています。要するに学校教育の一環として普及させるために雛形化しなければならなかったのです。
たとえば、VTSでは、進行役(ファシリテーターと言います)が鑑賞者(子供たち)にする質問は下記の3つに限定されています。
1.この絵の中で、どんなことがおこっていますか? (What’s going on in this picture?)
2.あなたは、何を見てそう言っているのですか? (What do you see that makes you say that?)
3.もっと発見はありますか? (What more can we find?)
この3つの問いかけは、ヤノウィンの著書《Visual Thinkin Strategies》(日本語版は「学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ」という長いタイトルです)によれば、VTSの共同開発者である認知心理学者のアビゲイル・ハウゼンの研究をもとに、様々な試行錯誤の末に到達した究極に絞り込んだ形の質問であり、それぞれの言い回しには深い教育目的があります。興味のある方はぜひ、上掲書をご一読ください。
ヤノウィンはこれらの3つの質問が究極の最終形であることの証として、彼が受けた現場の教師(小学校2年の担任)からの下記の報告を例としてあげています。
報告:3番目の質問「もっと発見はありますか(What more can we find?)」を「ほかの発見はありますか?(What else can you find?)」という聞き方にしてみたところ、子供たちは緊張して口を閉ざしてしまいました。彼らがまだ話題にしていない何かが残っていて、それを答えなければいけないと思ったようです。そこで、「もっと発見はありますか?」という質問に戻したところ、こどもたちは再びリラックスして話をしてくれるようになりました。
アメリア・アレナスの来日と日本におけるVTCの導入
《なぜ、これがアートなの?》のアメリア・アレナス
前述したように、最近では特に《ビジネスxアート》の分野で対話型鑑賞と言えばVTSが注目されていますが、実は美術界ではずっと以前にVTCが大注目を浴びたことがあります。
それが、MoMAでギャラリー・トークなどの美術館教育に携わり、フィリップ・ヤノウィンのもとでVTC開発にも参加し、名著の誉れ高い《なぜ、これがアートなの?》の著者アメリア・アレナス女史の来日です。
彼女は1995年に来日してVTCに基づいた対話によるアート鑑賞のパフォーマンスを日本各地で行いましたが、そのユニークで卓越した対話形成スキルにより日本の美術関係者に衝撃を与えました。1995年以降もたびたび来日し、VTCにもとづいた彼女独自の対話によるアート鑑賞法を広めました。
京都造形大学のACOP(エイコップ)
その、アメリア・アレナス女史の来日に尽力し、彼女とともに日本における対話によるアート鑑賞法の普及に奔走したのが京都造形大学前教授の福のり子さんです。彼女は2004年以来同学のアート・コミュニケーション研究センター所長として長年ACOP(Art Communiation Project エイコップ)という鑑賞者同士のコミュニケーションによる鑑賞法を提唱しています。
個人的な話で恐縮ですが、私は展覧会プロデューサーとして何度も福さんと仕事をさせていただきました。彼女がニューヨークでインディペンデント・キュレーターとして活動していた1990年代前半にロバート・メイプルソープ財団の理事長の推薦で、ロバート・メイプルソープ展(1996年開催)のゲスト・キュレーターになってもらったのが最初です。
話を元に戻すと、アメリア・アレナスの対話型鑑賞はVTCをベースにしていますが、彼女の美術教育者としての知識と経験と才能に裏打ちされた卓越した対話形成スキルによって支えられたもので、多くの示唆に富んでいるとは言え、普通の人が(あるいは美術の専門家であっても)簡単にマネできるものではないと思われます。
京都造形大学のACOPの方は、大学での年間授業を通して対話によるアート鑑賞の進行役(ACOPではファシリテーターではなくナビゲーターと呼びます)を養成しています。
VTSとの違い
この2つ(アメリア・アレナス方式とACOP)とVTSの一番の違いは、鑑賞者に知識的な情報を与えるかどうかにかかっています。前述したようにVTSでは知識的な情報は一切与えません。対象が感性による鑑賞を目的とする小学生ですからそれでいいのでしょう。それに、VTSは小学校教育での普及を目的としていますから進行役に美術の知識がなくても出来るということを目指していますから、そこは厳格に規制されています。
これに対して、アメリア・アレナス方式やACOPでは知識や情報は吟味してあるいは適宜与えることになっています。これはVTSのように対象を特に定めていないので鑑賞者のレベルや年代によって判断するということだと思います。この場合は進行役に相当な知識と対話形成スキルが要求されます。
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◉《VTS》の開発者フィリップ・ヤノウィン氏の著作の翻訳。原題はズバリ《Visual Thinking Strategies》
大人のための対話型鑑賞
私はVTSプラスと命名した大人を対象とした対話型鑑賞を実践していますが、そのメソッドは明確です。
2段階で行います。
1段階:まずは、VTSをベースに対話型鑑賞を行います。その場合、講師はファシリテーターに徹します。知識、情報は提供しません。
2段階:ひと通りVTSによる対話型鑑賞を終えたら、今度は講師は作品、作者についての情報をどんどん提供します。そして、鑑賞者からの発言を引きだし、あらゆる質問にも答えます。もちろん、鑑賞者のレベルや要求度を見極めながらそれを行います。
2段階目はプロトマニアでこれまで60回(2022年6月現在で95回)の実績のある《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞白熱講座』》のエッセンスそのものです。
《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞白熱講座』》
《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞白熱講座』》では大人が対象ですから、絵画鑑賞の教育効果とかは基本的に関係ありません。絵画鑑賞の醍醐味を味わうことを目的としています。
ですから、作品の周辺情報はできるだけ多く提供します。どんなに多く提供したところでピンとこない、納得できない情報や知識はあっというまに忘れてしまいます。心の琴線に触れた情報だけが頭に残って、次の鑑賞に役立つのだと思います。
そして、それらの情報を踏まえつつ、鑑賞者は自分の目と感性をよりどころに、作品を見て感じたこと、気づいたこと、連想したこと、価値判断したことなど、考えたこと(いわゆる感想ですね)などを自由に発言します。その発言を受けて講師が要約したり、言い換えたり、同意したり、違う見方を説明したりしつつ、また別の鑑賞者の発言も引き出します。それらが、どんどんつながって上昇気流が発生するように議論が白熱することを理想としています。とは言え、あくまでも楽しくなごやかな雰囲気の中で、なんの束縛もなくそれをやることを心がけています。
この上昇気流は講座が終わったあとに、自分の感性にひっかかった発言や気づきを思い出して、自分の心のや思考の中で起こる場合もあります。それが、この講座のプラスアルファの魅力だと思います。
《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞白熱講座』》》のもうひとつの特徴は、できるだけ多くの作品を見ることです。ひとりの画家の作品を1回で40〜50点ほど見ます。それによって、その画家の全体像、画業というものをなんとなく把握します。この時点で、鑑賞者はその画家のほんの一部分だけを見て、好き嫌いを判断していたと気づくこともあります。
とにかくできるだけ多くの作品を見ることによって、同じ画家の作品にも変遷とか良し悪しとかいろいろあるんだなということを実感します。その上で、その鑑賞者ひとりひとりが気になった作品を挙げて、その作品をみんなでああだこうだといいながら鑑賞して行きます。
講師は美術史の常識的な見方も紹介しますが、講師の主観的な意見や感想、絵の見方を積極的に伝えます。
また、作品や作家、時代背景、社会などについてのさまざまな情報やエピソード、展覧会オーガナイズでの経験談など通常の絵画鑑賞講座では出てこない話題も含めて様々なことをお話します。
鑑賞者がそれを参考にするかどうかはその人次第。それが大人の絵画鑑賞だと思います。
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