《ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント》(東京都美術館)から♪♪♪
《サント=マリー=ド=ラ=メールの海景》に続いてご紹介するのは《レモンの籠と瓶》です。
レモンの籠と瓶
1888年5月 油彩/カンヴァス 53.9 x 64.3 cm
クレー=ラー=ミュラー美術館美術館
みなさんはゴッホという画家に対してどんなイメージを持っていますか?
ありあまる情熱をもった「炎の画家」という感じではありませんか?
そして、ゴッホの作品は精神に変調をきたすほどのパッションをカンヴァスにぶつけるように描いたのがゴッホの作品だと……
ところが、《ゴッホの手紙》を読んでいるとそんなイメージは吹き飛んでしまいます。ゴッホは常に絵画制作上の課題を設定して、絵の制作を行っています。ものすごく客観的な作画態度の画家なんですね。
ではこの絵を描くにあたってゴッホが設定した課題はなんでしょう?
ゴッホが1888年5月22日に後輩の画家エミール・ベルナールに宛てて書いた手紙の中に「オレンジにいたるまでの一連の黄色」という言葉があります。これがヒントだとすると、ゴッホがこの絵で実験したのは、黄色を基調として、赤よりのオレンジと青よりの黄緑までの微妙な黄色の色調で絵を構成することのようです。
言わば、「黄色尽くし」の絵を描くことだったんですね!
「黄色尽くし」の絵と言えば、有名なゴッホの「ひまわり」の連作などはまさしく全面黄色の絵です。
《レモンの籠と瓶》は黄色だけで描く《ひまわり》のプレリュード的な絵とも言えますね!
ゴッホが南仏アルルで描いた《ひまわり》の絵は7枚もあります。
アルルに芸術家の共同体を作ることを夢見たゴッホですが、彼の誘いに応じたのはゴーギャンだけでした。ゴーギャンがアルルにやってくることを知ったゴッホは大変喜んで、彼を迎える《黄色い家》の室内を《ひまわり》の絵で飾ることを思いつきます。
7枚の《ひまわり》のうち4枚が、ゴーギャンが到着する前に描かれました。残りの3枚はあの《耳切事件》でゴーギャンが去ったあとに描かれています。
まずは、ゴーギャン到着までに描かれた4枚です。
1枚目:1888年8月 個人蔵
2枚目:1888年8月 山本顧彌太氏蔵
(第二次世界大戦の阪神大空襲で焼失)
3枚目:1888年8月
ノイエ・ピナコテーク ミュンヘン
4枚目:1888年8月
ナショナル・ギャラリー ロンドン
1888年12月23日、あの耳切事件が起こります。
5枚目:1889年1月
SOMPO美術館 東京
6枚目:1889年1月
ファン・ゴッホ美術館 アムステルダム
7枚前:1889年1月
フィラデルフィア美術館 アメリカ
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