東京上野の国立西洋美術館で《モネ 睡蓮のとき》が開催中です。
(2025年2月11日まで、その後京都市京セラ美術館、豊田市美術館へと巡回)
モネの展覧会と言えば昨年から今年にかけて開催された《モネ 連作の情景》が記憶に新しいところですが、
今回のモネ展はモネ最大の連作とも言える《睡蓮》がテーマです。
もっとも、出展作品が全部《睡蓮》というわけではなく、出展60余点の内20点ほどが《睡蓮》を描いた作品という内容です。
光を色に還元して自然を描く印象主義から出発したモネが晩年にたどり着いた抽象絵画のような表現、単に睡
蓮を描いた作品を集めただけではなく、戦後アメリカの抽象表現主義に連なるとも喧伝されるモネ晩年の作品世界を堪能できる充実した内容の展覧会です。
そのエッセンスを展覧会の構成(章立て)に沿ってご紹介します。
第1章 セーヌ河から睡蓮の池へ
かつてモネはセーヌ河を指して「ここが私のアトリエです」と言いました。
この章ではモネの川面に映る風景(水面)への関心から睡蓮への道をたどります。
舟遊び 1887年(47歳)油彩/キャンバス、145.5 × 133.5 cm 国立西洋美術館
※モデルはモネの義理の娘たち。画面下半分の水面に映った像に注目。
ポール・ヴィレのセーヌ河、夕暮れの効果 1894年(54歳) 油彩/カンヴァス 52.4 x 92.6 cm
マルモッタン・モネ美術館 ※川面に映った空の空と風景に注目。
セーヌ河の朝 1897年(57歳) 油彩/キャンバス 82 x 93.5 cm
ひろしま美術館 ※画面上半分が実刑、下半分は川面に映った像。
睡蓮、夕暮れの効果 1897年(57歳) 油彩/カンヴァス 73 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館 ※モネの関心は水面に浮かぶ睡蓮の花と葉。
睡蓮 1903年(63歳) 油彩/カンヴァス 73 x 92 cm
マルモッタン・モネ美術館
※モネの関心が睡蓮の花と葉だけでなく水面(水面に映る柳の情景)に拡がっている。
睡蓮 1907年(67歳) 油彩/キャンバス 100 x 73 cm マルモッタン・モネ美術館
※モネの関心が睡蓮よりも水面に映る空と柳に移行している。
第2章 水と花々の装飾
現在パリのオランジュリー美術館の楕円形の2つの部屋で見ることのできる全長80メートル
に及ぶ大壁画に描かれている花は睡蓮だけですが、それに到るまでの過程でモネは睡蓮の池の
ほとりに咲く水辺の花々を描くことを構想していました。
黄色いアイリス 1914 – 17年頃(74−77歳)
油彩/キャンバス 200 x 101 cm
国立西洋美術館
黄色いアイリス 1924 – 25年頃(84 – 85歳) 油彩/キャンバス 130 x 152 cm
マルモッタン・モネ美術館
アイリス 1924 – 25年頃(84 – 85歳)
油彩/キャンバス 105 x 73 cm
マルモッタン・モネ美術館
キスゲ 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 150 x 140.5 cm
マルモッタン・モネ美術館
藤 1919 – 20年頃(79 – 80歳) 油彩/カンヴァス 100 x 300 cm マルモッタン・モネ美術館
睡蓮とアガパンサス 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 140 x 120 cm
マルモッタン・モネ美術館
睡蓮とアガパンサス 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 200 x 150 cm
マルモッタン・モネ美術館
第3章 大装飾画への道
大装飾画(Grande Décoration、グランド・デコラション)」とは、睡蓮の池を描いた巨大なパネルによって楕円形の部屋の壁面を覆うという、モネが長年にわたり追い求めた装飾画の計画です。
最終的にパリのオランジュリー美術館に設置されることになるこの記念碑的な壁画の制作過程において、
70代のモネは驚嘆すべきエネルギーでもって、水面に映し出される木々や雲の反映をモティーフとする
おびただしい数の作品群を生み出しました。
睡蓮 1916 – 19年頃(76 – 79歳) 油彩/カンヴァス 150 x 197 cm
マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 1914 – 17年頃 油彩/カンヴァス 130 x 150 cm
マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 130 x 153 cm
マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 1916 – 19年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 200 x 180 cm
マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 1916年(76歳) 油彩/キャンバス 200.5 x 201 cm
国立西洋美術館
睡蓮 1914 – 17年頃(74 – 77歳) 油彩/キャンバス 130 x 150 cm
マルモッタン・モネ美術館
睡蓮、柳の反映 1916 – 19年頃(76 – 79歳) 油彩/キャンバス 130 x 157 cm
マルモッタン・モネ美術館
睡蓮、柳の反映 1916 – 19年頃(76 – 79歳) 油彩/キャンバス 200 x 200 cm
マルモッタン・モネ美術館
睡蓮、柳の反映 1916年?(76歳) 油彩/キャンバス 130 x 197.7 cm 国立西洋美術館(松方コレクション)
第4章 交響する色彩
晩年のモネは視力の低下に苦しんでいましたが、1912年、72歳の時には白内障と診断されました。
その後白内障の症状が進んだモネは青色を感じることが困難になりました。しかし、失明を恐れたモネは頑なに手術を拒み続けたのです。
この頃のモネの絵は赤と黄が強く、とてもモネの色彩とは思えないほどです。
周囲の説得でモネが手術に踏み切ったのは83歳になってからのことです。その甲斐あってか死の前年には
「私の視力は完全に回復した」と知人への手紙に書いています。
日本の橋 1918 – 24年頃(78 – 84歳) 油彩/カンヴァス 89 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館
ジヴェルニーの庭 1922 – 26年頃 (82 – 86歳) 油彩/キャンバス 93 x 74 cm
マルモッタン・モネ美術館
バラの小道 ジヴェルニー 1920 – 1922年 (80 – 82歳) 油彩/カンヴァス 89 x 100 cm
マルモッタン・モネ美術館
ばらの小道 1920 – 22年頃(80 – 82歳) 油彩/キャンバス 90 x 89 cm
マルモッタン・モネ美術館
ばらの庭から見た画家の家 1920 – 22年頃(80 – 82歳) 油彩/キャンバス 89 x 92 cm
マルモッタン・モネ美術館
ばらの庭から見た家 1922 – 24年頃(82 – 84歳) 油彩/キャンバス 81 x 92 cm
マルモッタン・モネ美術館
エピローグ さかさまの世界
モネを最期まで励まし続け、モネの死後1927年の大装飾画の実現に導いた立役者であるクレマンソーは、木々や雲や花々が一体となってたゆたう睡蓮の池の水面に、森羅万象が凝縮された「さかさまの世界」を見出した。
枝垂れ柳と睡蓮の池 1916 – 19年頃(76 – 79歳)油彩/キャンバス 200 x 180 cm
マルモッタン・モネ美術館
睡蓮 1916 – 19年頃(76 – 79歳) 油彩/キャンバス 200 x 180 cm
マルモッタン・モネ美術館
ー展覧会の終わりー
《展覧会の感想》
国立西洋美術館で開催中の《モネ 睡蓮のとき》展が大盛況!
グッズを買うにはすでに館外にはみ出た列に並ばないといけません。
会期は来年2月11日まで、まだ3ヶ月以上もありますが、都合のつく方は早めに行かれたほうがいいかも知れませんね。
モネの展覧会と言えば昨年から今年にかけて開催された《モネ 連作の情景》が記憶に新しいところですが、今回のモネ展は展覧会タイトルから判断すると、モネ最大の連作とも言える《睡蓮》がテーマのようです。
ところが、出展作品が全部《睡蓮》というわけではなく、出展60余点の内、《睡蓮》を描いた作品は20点ほどです。
フランス語の展覧会タイトルは《Le dernier Monet : Paysage d’eau》(最晩年のモネ、水の風景)なので、必ずしもモネの睡蓮を集めた展覧会という訳ではないようです。
日本語のタイトルからは、なんとなく日本人受けのする《モネ=睡蓮》という割とイージーな動員狙いの展覧会かと思いましたが、《モネ、オランジュリーへの道》という観点から見ると、なかなかに貴重な内容の展覧会でした。
光を色に還元して自然を描く印象主義から出発したモネが晩年にたどり着いた抽象絵画のような表現、戦後アメリカの抽象表現主義とも比較されるモネ晩年の作品世界を堪能できる、充実した内容の展覧会だと思いました。
《コラム:モネ・リヴァイヴァル》
いまではモネの聖地ともなっているオランジュリー美術館のモネの睡蓮の部屋ですが、モネが亡くなった直後に開館した1926年からしばらくは閑古鳥が鳴いている状態だったそうです。端的に言うと印象派の大家モネの有名な作品はすでに時代遅れになっていて、人々の関心を引きことはなかったということのようです。モネ晩年の睡蓮の作品が再評価されだしたのは1950年代以降です。
これをモネ・リヴァイヴァル(モネの再評価)と言います。
口火を切ったのはアメリカでも活躍したフランス人画家のアンドレ・マッソンです。彼はフランスの有名な美術雑誌ヴェルヴに寄稿した文章の中で以下のように主張しました。
「私は喜びをもって、そして真剣に、次のことを伝えたい。テュイルリー公園のオランジュリー美術館は、印象主義のシスティーナ礼拝堂なのだと。パリの中心にあるひとけのない空間に隠されたその作品は、フランスの天才の勝利を示すものであり、神秘の中に聖性を宿している」
一方、1950年代に戦後アメリカ美術を牽引したジャクソン・ポロック、ウィレム・デ・クーニング、マーク・ロスコ、ロバート・マザウェルらの芸術を評価する過程で特にニューヨーク近代美術館を中心にモネの晩年の作品の再評価が始まりました。
彼らがモネの睡蓮から直接影響を受けたという事実関係はないようですが、彼らの次の世代の抽象表現主義の画家、例えばジョアン・ミッチェルなどはデ・クーニングのもとで修業したあと、フランスに渡り、モネの足跡を追うようにヴェトゥイユやジヴェルニーの近くに居住し制作しました。一昨年フランスのフォンダシオン・ルイ・ヴィトンで開催された《モネとミッチェル》展やアメリカのセントルイス美術館で開催されたその縮小版の展覧会など大変興味深い展覧会が続いています。
モネ – ミッチェル展 2022年10月5日 – 2023年2月27日 フォンダシオン・ルイ・ヴィトン
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《モネの「睡蓮」に関する決定本です》
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