ルノワール(1841 – 1919)
《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞闘会》
Bal du Moulin de la Galette
1876年 油彩/カンヴァス 131.5 x 176.5 cm
オルセー美術館
こんにちは。
先日ゴッホの《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(1886年)をご紹介しましたが、今日は11月2日(20:30 – 22:00)に行う無料イベントの《対話型鑑賞、ルノワール入門》にちなんで、ルノワールの代表作中の代表作《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》をご紹介します。
ゴッホ 《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》
《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(ギャレットの風車)は2つの風車を含むカフェとダンスホールがいっしょになった娯楽場です。
ゴッホの絵ではその風車と施設の外観を描いていましたが、人通りも多くなくちょっと寂しい感じで、当時はパリの外れでまだ田園風景を残していたモンマルトルの雰囲気が感じられました。
ルノワールのこの絵は週末で賑わう《ムーラン・ド・ラ・ガレット》の内側の様子を描いています。
《ムーラン・ド・ラ・ガレット》はロートレックやユトリロやピカソも描いています。
ロートレック 《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》
シカゴ美術館所(The Art Institute of Chicago)
箱根のポーラ美術館にもロ−トレックの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットにて》(1891年)という絵があります。
ところで、ムーラン・ド・ラ・ガレットには2つの風車がありました。
ひとつは1622年に建てられ、もうひとつは1717年に建てられました。ずいぶん昔から風車として役にたっていたようですね。この2つの風車を所有していたのはドブレーという製粉業者の一族でしたが、彼らはここでギャレット(ガレット)と呼ばれたライ麦入りのパンと牛乳を売っていました。これが《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》の名の由来です。
1814年、フランスはナポレオンのロシア遠征の失敗により、対仏同盟諸国との戦いに破れ、パリはロシアに支配されてしまいます。
ドブレー・ファミリーは大打撃を受けますが、1860年代には牛乳をワインに変えて、彼らの風車小屋をダンスホールとして再興したのです。「風車に歴史あり」ですね!
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