前回は私が九段下のプロトマニアを中心に《ビジネスパーソンのための絵画鑑賞講座》として実践している大人のための対話型鑑賞講座についてのメイン・ストーリーをお話しました。
今日は、そのあとがきとして、対話型鑑賞の終わり方(終わらせ方)について附言します。
VTSにおける授業の終わり(Closing:Ending a lesson) ー 授業のまとめは不要である
繰り返しますが、VTSは子供を対象とした学校教育での実践を念頭に、美術の専門家ではない先生でも効果的に実践できるようの考案された対話型鑑賞法です。授業の終わらせ方についても定式化されています。
少し長くなりますが、VTSの終わらせ方について開発者のフィリップ・ヤノウィン氏自身の説明を彼自身の著作「Visual Thinking Strategies]から引用します。(邦訳:「どこからそう思う? 学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ」京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センター 訳 淡交社 pp50-51)
日本語のタイトル、長いですねえ・・・VTSと対話型鑑賞が100%イコールであれば邦訳のタイトルは「対話型鑑賞」で済んだのでしょうが、対話型鑑賞はVTSだけではないので、こういう超説明的な長いタイトルにならざるを得ないんでしょうね。ま、VTSはVTSで日本語として使っていくしかないようです。
では、上掲書(邦訳)からの引用です。(pp50-51)
<VTS実践の初期段階では、子どもたちはこれまでの経験から。「正解」は教師が持っていると思っているので、「今ので正しかった?」と聞いてくるかも知れない。その際、正解不正解が問題なのではなく、考えることが大切なのであるというスタンスを教師が維持し続けることができれば、こうした質問はすぐになくなっていく。また、パラフレーズ(言い換え)やリンク(発言をつなげる)を通して、自分で考えつつ他者と協働することで、素晴らしいアイデアが生み出されると示すことも重要だ。 子どもたちはこうした授業の有効性をすぐには理解できないので、教師はえてして、授業のまとめをしようとする。VTSではそうした総括はほとんど必要ない。(中略)VTSでの自由なディスカッションを要約しようとすれば、いくつかの意見をとりこぼしてしまうことは避けられず、すべての発言を受け止めようとしてきた努力が損なわれてしまう。(中略) 授業のまとめは不要である。>
<鑑賞時間の目安となる20分が経過しても、まだ子どもたちの手が挙がっていることが多い。(中略) したがって、VTSでの対話の終わり方としては、子どもたちに感謝の気持ちを伝え、できれば教師がその日の対話から学んだことをコメントして終了するのがよい。たとえば、「先生も気づかなかったような、絵の細かいところまでみてくれて、すごいと思いました」というような形である。> (太字:筆者)
というふうに、VTSでは授業の終わり方も細かく規定されています。
子供を対象とした学校教育という文脈の中での授業の終わらせ方として、VTSの理念から言ってもこれはこれで大変納得のいく説明ですね!
要は子どもたち(鑑賞者)同士の対話のプロセスが大事だということです。
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◉《VTS》の開発者フィリップ・ヤノウィン氏の著作の翻訳。原題はズバリ《Visual Thinking Strategies》
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しかし、こういうVTSのやり方をそのまま大人の美術鑑賞にあてはめた場合はどうでしょう?
きっとモヤモヤ感やフラストレーションがたまると思います。
鑑賞者が大人の場合のVTSの厳格な運用はナンセンス。フラストレーションがたまるエンディング。
鑑賞者が大人の場合は、もしVTSで規定されている終わり方に直面したら「あれっ?みんなが言いっぱなしでいいの・・・えっ、それで終わりなの?」という感覚になると思います。
例えば、鑑賞者Aさんの着眼点や発言に対して、鑑賞者Bさんはすごく面白いと思ったとします。そして、鑑賞者BさんはAさんの発言にインスパイアされたこととは別に、Aさんの発言は時代背景や作家の意図、通説や事実を無視した荒唐無稽論かこじつけかも知れないと不安に思い始めました。
こんなケースでもし、VTSの終わり方をそのまま適用して、ファシリテーターからはなんの情報提供もなく、「みなさん、今日はいろいろ面白い見方や考え方を発表してくれてありがとうございました!」で終わったとしたら、Bさんにはきっと不安とすっきりしないモヤモヤ感が残るのではないでしょうか?
せっかく鑑賞者同士の自由な発言や対話でコミュニケーションによる鑑賞は盛り上がったけれど、100%の達成感はないと思います。もちろんBさんは「アートに正解はない」ことは重々承知だし、作品は自由に見ていいものだと思う。通説が正しいとは限らないということもわかっている。仮に作家の意図と鑑賞者が受け取ることが全然違っていてもそれはそれで当たり前というか、アート鑑賞というのは作家の意図を鑑賞することではなく、作家の手を離れた作品と鑑賞者との間の自由な対話やコミュニケーションであって、作家の意図通りに感じることが目的ではないことは百も承知。
だとしても、事実は事実として知った上で、それらの情報を踏まえた上で、Aさんの鋭いと感じた鑑賞にインスパイアされながら、BさんはBさんとしての作品との対話を進めたいと思うのではないでしょうか?
それが大人のアート鑑賞として自然だと思います。
現状ではビジネスの話題でVTSが取り上げられることが多く、一般的にはVTSがすごく新鮮な鑑賞法に思えると思います。実際、VTSに則って作品を見ると、より長く作品を見ていられるし、より多くのことに気づきます。これは、本当にVTSの画期的なところだと思います。
そんなこともあってか、大人のアート鑑賞にもVTSをそのまま、厳格に(無意識に)適用して《定型化された3つの質問を正確に行う、知的情報はいっさい提供しない》という鑑賞法を提案しているところが意外に多いようです。しかし、それでは大人のアート鑑賞としては物足らないのではないかと危惧します。
有名な3つの質問も大人の場合は変える必要がある。
エンディングに限らず3つの質問についても杓子定規にこれを行おうとすると大人の場合は問題が起こりそうです。
もう一度復習するとVTSにおいてはファシリテータがする質問は下記の3つに限られています。
1.この絵の中で、どんなことがおこっていますか? (What’s going on in this picture?)
2.あなたは、何を見てそう言っているのですか? (What do you see that makes you say that?)
3.もっと発見はありますか? (What more can we find?)
フィリプ・ヤノウィンによれば、これらの質問は膨大な試行錯誤の中からたどり着いた最終型で一字一句動かせません。たとえば、「どんなことがおこっていますか?」を「何が見えますか?(What do you see in this pictre?)」と言ってしまうと複雑な思考を導けないとか、「もっと発見はありますか?」を「ほかの発見はありますか?(What else can you find?)」と言い換えた場合には、子どもたちはほかの特定のものを見つけなければならないとプレッシャーを感じ、とたんに反応しなくなるとかの例をあげて説明しています。
子供たちを対象として、VTSを念頭にセレクションされた絵画(例えば、登場人物が多く、物語性が強い絵画)の鑑賞であれば成り立つ話ではありますが、大人の絵画鑑賞でVTSに都合のいい絵ばかりを鑑賞する訳にはいきません。
例えば登場人物が一人の肖像画の鑑賞とか、もっと言えばまったく物語性のまったくない抽象画の鑑賞では少なくとも質問をアレンジする必要がでてきます。その場合は、たとえば1の設問は「何が見えますか?」にならざるを得ないでしょう。
大人のアート鑑賞でVTSをそのまま適用した場合のモヤモヤ感を残さないための方法
それは、メイン・ストリーでも述べたことですが、大人のアート鑑賞での進行役はファシリテーター+知的情報の提供者でなくてはなりません。
ファシリテーター
まずはVTSにのっとってファシリテーター(原義はあることを容易にする人、VTSの場合は鑑賞者=子どもの発言をしやすくする人)として鑑賞者の様々な気付き、想像力を膨らませてストーリーを構築する、さらに観察する、さらにさらに想像力を駆使するという流れを円滑にすることに徹します。
3つの基本アクション
具体的には、指差し(pointing)、パラフレーズ(言い換え)、リンク(発言をつなげる)という3つの基本アクションになります。
VTSから大人の対話型鑑賞への移行(ファシリテーター+知的情報の提供者)=モヤモヤ感なしの大人の鑑賞
鑑賞者の気づき、発言、物語の構築などが一段落した段階で、ファシリテーターは発言しやすい場の雰囲気を維持するという役割は維持しつつ、もうひとつ別の役割を果たさなければなりません。
それは、作品について、作家について、時代背景につてい、作家の意図について、その他作品と作家にまつわるできるだけ多くの知的情報の提供です。VTSの場合は、この知的情報の提供はご法度です。子どもに先入観を与えることを避ける目的もありますが、土台まだ知的受け皿が出来上がっていない子どもたちに知的情報を提供することはナンセンスだからです。
ところが、大人が対象の場合は話は全く違います。私の経験では、知的情報はできる限り多く提供することが望ましいと思います。その知的情報は自分のアート鑑賞にどう取り入れるか、あるいは取り入れないか、取捨選択は当然のことながらそれぞれの鑑賞者の判断になります。そうしながら、それぞれの鑑賞者が自分にとってのアート鑑賞を形成して行きます。
私が実践している大人の対話型アート鑑賞では、それまでファシリテーターに徹してきた進行役は次に知的情報提供者になりますが、そこに留まって高みの見物をするのではなく、その次のステップでは一鑑賞者となって鑑賞者の対話のサークルにはいっていきます。そして、単なる情報提供者としてではなく鑑賞者としての発言も積極的に行います。そうすることによって、鑑賞者同士の対話型鑑賞がさらなる上昇気流を生み、昂揚感いっぱいの新しい次元でのコミュニケーション型鑑賞が生まれます。
こうした大人の対話型鑑賞であれば、VTSを大人のアート鑑賞にそのまま適用した場合すなわち、知的情報の提供なし、進行役の考えも判らないという、なんだか狐につままれたようなモヤモヤ感やフラストレーションやが残ることはありません。
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