11月24日(日)のプロトマニア・アート・レクチャーのご案内です。
第66回《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞白熱講座』》ポロック以後、抽象表現主義のスターたち
ジャクソン・ポロックいかがでしたか?
アメリカ文化における3大悲劇のヒーローと言えば、映画のジェームス・ディーン、ジャズのチャーリー・パーカーそして絵画のジャクソン・ポロックなんだそうです!ちなみにジェームス・ディーンは1955年9月に24歳で自動車事故で死亡。チャーリ・パーカーは麻薬とアルコールによる破滅的な生活の末、1955年3月に34歳で死亡。ポロックは1956年8月にアルコール依存症の治療中に自動車事故で死亡。この3人のアメリカン・ヒーローの死はわずか1年余りの間のできごとでした。
ポロックの人生を詳しく知りたい方には映画《ポロック・2人だけのアトリエ》をお薦めします。悲劇的な結末だけど、ポロックを支え続けて、自分もりっぱな画家として大成したリー・クラズナーが素晴らしい!ちなみにリー・クラズナーを演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンはアカデミー助演女優賞を受賞しています。
あと、ポロックを演じるエド・ハリスのアクション・ペインティングのシーンも圧巻。まるで現代舞踊を踊っているような流れるようなパフォーマンスとその手の先から滴り落ちるエナメル塗料のドリッピングとポーリングのアンサンブルシーンは圧巻。ハンス・ナムートのドキュメンタリーフィルムよりはずっと感動的。おそらくこちらが真実に近いのでは。
ヨーロッパではマレーヴィチの白いカンヴァスに白の正方形の発表で、絵画の極北まで行ってしまった感のあった抽象絵画の世界ですが、海を越えたアメリカでポロックがドリッピングというまったく新しい発想の技法とともに登場したことにより抽象表現主義という新たな地平が開けました。
ポロックは彼のルーツとも言える西部の開拓者のように、現代絵画のフロンティアで悲壮なまでに新しい絵画への挑戦を続けましたが、アルコール依存症の果てに44歳の時に、自動車事故であっけなく亡くなってしまいます。
しかし、抽象表現主義の灯がそれで消えてしまった訳ではありません。抽象表現主義というのはかなり包容力のあることばで、ポロックよりも少し上の世代と下の世代の様々な主張とスタイルのアーティストを巻き込んで、戦後アメリカ美術のメインストリームとして広範囲に展開して行きます。
ここに一枚の写真があります。
1951年の1月15日のライフ誌に掲載されたニナ・リーン撮影の《怒れる者たち(The Irascibles)》というタイトルの写真です。ここに写っている面々は当時のアメリカの前衛美術のスターたちです。彼らは何に怒っているのでしょうか?
それは次回の講座でお話しするとして、ここに写っている18人は全員アーティスト(画家)です。真ん中にポロックがいますね。後列左端にいるのはデ・クーニング、一人おいてアド・ラインハート、真ん中にいるポロックの右隣がクリフォード・スティル、その隣にロバート・マザウェル、前列中央にいるのがバーネット・ニューマン(2013年まで彼の《アンナの光》という傑作が川村記念美術館に所蔵されていましたが、財政難解消のため103億円で売却されてしまったのは記憶に新しいところですね!)、右端にいるのがマーク・ロスコです。
次回は上に名前を挙げたアーティストやポロック夫人のリー・クラズナー、ロバート・マザウェル夫人のヘレン・フランケンサーラーなど、綺羅星の如くニューヨークに現れたポロック以後の抽象表現主義のスターたちの個性豊かな作品を鑑賞します。

デ・クーニング 女 I 192.7 x 147.3 cm MoMA

ニューマン《あんなの光》276x611cm1968年

マーク・ロスコ 《Light Red Over Black,》230 x 152cm 1957年 テート

ヘレン・フランケンサーラー 《Open Walll》136.5x 332 cm
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