ユニークな「絵画鑑賞のオンライン講座」です。
美術の歴史的流れや、作品にまつわるエピソードまで聞きながら、講師、参加者と一緒に対話しながら絵画を鑑賞します。みんなで絵を話すシーンが増えたら、きっと世界は素敵になる♪ 人の感想を聞くだけでも、今までにない刺激や発見があります。
初めての参加も大丈夫。自宅にいながら、みんなで複数の作品を見て、絵画を楽しみましょう!
1月から始まった新シリーズ《日本洋画の俊英たち》の第3回は藤島武二(1867 – 1943)を取り上げます。
彼の代表作はアーティゾン美術館に数多く所蔵されており、現在同館で開催中の展覧会《はじまりから、いま。1952 – 2022 アーティゾン美術館の軌跡ー古代美術、印象派、そして現代へ》の広報宣伝にも彼の《東洋振り》と《黒扇》が使われています。
藤島武二は、第1回で鑑賞した黒田清輝と同じ鹿児島県出身で、年齢もわずかに一歳年下なだけですが、画家としての修業は全く異なります。
黒田が法律の勉強に行ったパリで絵画の道に転向したのに比べ、藤島は母方が狩野派系の絵師の家だったこともあり、幼い頃から絵の道を志しています。鹿児島中学時代から日本画を学び、1884年に上京後は川端玉章門下となり、1889年頃には松岡壽や山本芳翠のもとで油彩画の勉強を始めます。その後は、黒田がフランスから帰国して東京美術学校西洋画科を任された時に、黒田のひきで助教授に就任しています。
以後、藤島は黒田のもとで、東京美術学校、白馬会、文展を中心に日本洋画の発展に尽力することになります。1905年の第七回白馬会に出品した《天平の面影》が森鴎外らに絶賛され、第九回白馬会展には浪漫主義的かつ装飾的作風の《蝶》を出品します。その展覧会には若き青木繁の《海の幸》があり、この二作によって明治ロマン主義が見事に開花したと賞賛されます。
一方、彼は与謝野鉄幹の雑誌《明星》の挿絵や与謝野晶子の歌集《乱れ髪》の装幀を皮切りにグラフィック・デザインの分野でも活躍します。
《みだれ髪》
藤島は一貫して「細部にとらわれずに本質をつかむこと(サンプリシテ=単純化)」と「技術にこだわらずに自己を求めること(エスプリ=精神)」の大切さを主張しました。この絵画理念がどのように彼の作品に表現されているのかを見て行きたいと思います。
《耕到天》1938年
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