NHK朝ドラ「スカーレット」から1月26日『絵画鑑賞白熱講座』のテーマ、ジョージア・オキーフを連想しました!
前回はジャクソン・ポロックとリー・クラズナーを連想したお話をしましたが、今日は1月の『絵画鑑賞白熱講座』のテーマでもあるジョージア・オキーフ(1887-1986)と彼女の夫アルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)について連想しました。
スティーグリッツは「近代写真の父」と言われる偉大な写真家です。
オキーフも芸術家夫婦だったんですね!

スティーグリッツとオキーフ 1944年
©Arnold Newman
とは言え、彼らの夫婦生活が円満だったわけではありません。むしろその逆です。
1917年にオキーフとスティーグリッツがつきあい始めた時、スティーグリッツは、彼いわく愛のない財産目当ての結婚をして子供もいました。6年あまりの同棲を経て、1924年にスティーグリッツの離婚が成立し、オキーフとスティーグリッツは正式に結婚します。その時、スティーグリッツは60歳とオキーフは37歳でした。

Georgia O’Keeffe, 1918, photograph by Alfred Stieglitz

Georgia O’keefe by Alfred Stieglitz 1920年
スティーグリッツは写真家として著名なだけでなく、自らがオーナーとして運営する「291ギャラリー」を舞台に、写真だけでなくピカソやマティスをはじめとするヨーロッパの新しい絵画を積極的に紹介していました。「291ギャラリー」はヨーロッパからやってきたデュシャンやピカビアなど前衛芸術家の紹介にもつとめ、ニューヨーク・ダダの活動拠点にもなっていました。言わば、ニューヨークアート界の著名人だったわけですね。
スティーグリッツはオキーフと正式に結婚した1924年の翌年、1925年にギャラリー「The Intimate Gallery (小さいスペースだったので、通称The Room)」をオープンし、1927年にはボランティアでギャラリーのアシスタントをしていた22歳のドロシー・ノーマン (1905-1997)と出会います。そして、若い女性好きのスティーグリッツは、ドロシーに写真の手ほどきをしたりするうちに彼女のメンターから愛人関係になります。その時、ノーマンには結婚して子供もいました。

Dorothy Norman
by Alfred Stieglitz 1932年
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929年、オキーフはスティーグリッツの反対を押し切って、ニューメキシコのタオスの知人邸に滞在します。この時からわれわれの知るオキーフと砂漠地帯の関係が始まります。
以降、オキーフはニューメキシコを頻繁に訪れ、1940年にはタオスから西に約110キロ離れたゴースト・ランチ(Ghost Ranch 幽霊牧場)という土地にあったランチョ・デ・ロス・ブルホス(El Rancho de los Brujos 魔法使いの牧場)を購入します。幽霊だとか魔法使いだとか薄気味悪い命名ですが、この地に住んでいたインディアンにとっては霊感の地だったのでしょう。そこにオキーフにも共感するものがあったのだと想像されます。

ランチョス教会の正面 1929年
スティーグリッツという強い磁場に引きつけられてニューヨークで活動していたオキーフですが、スティーグリッツの不倫と制作上のトラブルに悩み、できるだけニューヨークから離れた土地に住むことで、心の安息を求めたのかも知れません。
1938年深刻な心臓発作に見舞われたスティーグリッツは、その後亡くなるまで発作を繰り返し、体力を消耗していきます。その間スティーグリッツを支えたのはドロシーでした。
1946年にスティーグリッツが82歳でなくなります。病院で看病に付き添っていたのはドロシーでしたが、最後を看取ったのはニューメキシコから見舞いに来たオキーフです。この時オキーフは59歳でした。
オキーフとスティーグリッツの夫婦関係は私たち常人には測り知れないものがあります。夫としてのスティーグリッツには完全に?がつきますが(というか、Xですね)、少なくともスティーグリッツはオキーフが画家として大成することの邪魔はしていません。それどころがスティーグリッツのプロモーションによりオキーフは大成したくらいです。夫婦でなければ、メンターであり大恩人と言えるかも知れません。
1949年、オキーフはニューヨークを完全に引き払って、ニューメキシコに永住します。この時、オキーフは62歳。そして、1986年に98歳という長寿を全うするまでの長い後半生をこの地で過ごすことになります。
そして、ニューメキシコでは夏と秋は荒野のゴ−ストランチの家で、冬と春は緑豊かなアキビューの家で過ごすというライフスタイルを確立します。
オキーフの美意識を濃厚に反映した赤土色のアドビ煉瓦(adbe)の2つの家で、彼女が実践したライフスタイルは、まさに現代のわたしたちが憧れるエコライフを先取りしたものでした。
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